シュウジとちせのお話は、これで終わりです。

 余韻に浸る間もなく、今、290ページ近くにもなる「最終兵器彼女」6巻を正味一週間で仕上げるというハードスケジュールの中の、ほんの少しだけ空いた時間を利用してこうしてあとがきみたいなものを書いています。昨日までいい天気でしたが、今日は雨で少し寂しい日です。

 前作…はじめての連載作品である『いいひと。』が六年間とゆう長期の作品となり、単行本も26巻を数えるものになりました。作家として恵まれた作品を描くことができ、読者のみなさんや関係者の皆様への感謝の気持ち、充実感と同時に、一つの、ある気持ちが生まれました。いってみれば、「長期連載ゆえの物足りなさ」でしょうか。六年間ほとんど一つの作品に費やした二十代後半。人として最も刺激的な時代の一つである、こうした日々の大半を、「それ」だけで終わらしてしまったのは、作家としてどこか悔いが残る、そんな感覚が残りました。もちろん実際は大波に翻弄される小舟の如くの日々だったのですが、それでも。

 「もう少し短い作品を描きたい」「単行本一巻から二巻くらいで収まる短いお話を作りたい」たとえば、これが自分の作品ですよと、ぽんと誰かに渡せるような。
 その期間いろんな雑誌の編集の方にお会いして、打ち合わせをしましたが皆そういう形での掲載を前提として企画を考えました。
 そんな日々の中で、用事で乗った電車。いつもは乗車時間を利用して本を読むのに、その日に限って手元に本を持っていませんでした。そういうときは決まって電車の中吊り広告をぼんやり眺めて過ごすのですが、ふと二つの単語が目につきました。「最終兵器(がどうのこうの)」「彼女(がうんぬんかんぬん)」。ぼーっと思いました。「彼女が最終兵器だったら、すごいイヤだよなー」。
 それが、「最終兵器彼女」との出会いでした。
 どーしようもなくばかばかしいその問いに手持ち無沙汰だった私は、いろいろと下らなく思いを巡らせました。例えばそれが自分の女房に置き換えて考えたり、結婚する前の今より少しだけおばかさんな時代の私たちだったり。もっとおばかさんな、女房とつきあう前の自分のことだったり。例えば、人生の中で、「陸上部」と「恋愛」のことだけで生きていけたおそらく唯一の時代の、あの頃の僕らであったり。
 電車が目的地に着く時間の間に、全てのストーリーは出来上がってしまいました。初めて恋をして、地球が終わるまでの間、精一杯恋をする、シュウジとちせ、二人のストーリーです。
 人より少しだけ不器用で。人より少しだけ恋のスタート地点が遅く。人より少しだけ、懸命に恋を駆け抜ける二人が生きる時間の記録です。
 ふたりの恋だけが、全てです。リアリティーなど、ただ、それのためだけにあればいい。二人の気持ちだけが、本当であれば。
 「その恋」の前には、作家一人が考えたストーリーなど、所詮ウソにしか過ぎません。ウソをウソで塗り固めてほんとうは何が描きたかったのかを薄めてしまうような作品づくりよりも、彼らがどう生き、どう笑い、どう泣き、どう苦しみ、それでも、どう恋していくのかを見せたい。それによって、読む人のたくさんの感情を引き出したい、そう思いました。それは、喜びであったり、怒りであったり、悲しみであったり、そして感情の大半である、言葉にあらわせない想いだったり。

 そのために全力を振り絞り、気が付くと単行本一、二巻分だったはずの質量が、七巻分になり、数カ月で済むはずだった執筆期間があっという間に過ぎ。
 気が付くと、二年が経っていました。

 それは、もう自分がとっくに過ぎてしまった楽しく、おばかで、恥ずかしい「あの」時代にもう一回向き合う日々であると同時に、作家として初めての感覚に捕われた日々でありました。
 キャラクターの感情に日常の自分の感情が少なからず捕われ、シンクロしてしまう経験です。私はネーム(原稿のもとになる材料を組み合わせたものを作る作業)の度にシュウジの感覚まで潜っていって言葉や動きを書き留めていくのですが、たとえばそのまま、潜ったまま帰って来れないような感覚。ナカムラという若い自衛隊員が死んだシーンを執筆した後などはずいぶん長い間落ち込んで苦しんだものですが、それでもまたすぐに原稿のリミットはやってきて、作中、誰かが恋をしたり、泣いたり、死んだりする。事務所に出勤すれば代表者であり、経営者であらなくてはならないギャップ。やるせない感覚。そんな私を前に、一見のんきそうな妻でもずいぶん苦労して支えてくれたんだと思います。
 そんなふうに、最初に考えたストーリーの展開に彼らを放し、彼らの感情を受け止め、原稿に写し取っていく、きっと私の姿はさながら自動筆記者の様だったのではないでしょうか。

 初めて連載を経験したあのときにも負けず、刺激的で、苦しく、楽しい充実した日々でした。こんなふうにして生み出されたこの作品を、シュウジや、ちせやキャラクター達を、中学生から社会人まで、男女分け隔てなく、想像できないほど多くの皆さんが受け止め、共感して、たくさんの感情を感じていただけたことは、作家として本当に幸運だったと感じています。

 作家として幸運といえば、やはり読んだ方からの反応がたくさんあることがなにより嬉しいのですが、この作品は、はじめるときにこのページにも書きましたが、賛否両論、本当にたくさんの反響、感想、そして質問をいただきました。
 この場を借りて感謝を申し上げますとともに、そのうちのクエスチョンに少しだけ。

 シュウジとちせには名字がありません。
 ふたりは、読んでくださり時間を共有したみなさんの、身近な二人だからです。
 友人や恋人や家族をフルネームで呼ぶ人はいないように、みなさんにとってシュウジはシュウジであり、ちせは、ちせであってほしいのです。そう呼んでいてほしいのです。

 この話の発表の場としてスピリッツという雑誌を選ばせていただいたのはいくつかの条件がありました。
 一つは、SF風の味付けではあるがSFではないこの作品を誤解なく認識してもらいやすいよう、あえてSFのジャンルが載りにくそうな雑誌であること。
 主人公達の年代の恋愛を描くことで避けて通りたくないセックス描写をぼやかすことで美化したりうやむやにしたりせずに済むよう、きちんと性行為を描ける青年誌であること。
 八週連載して二回休むというサイクルの連載を許していただけることで、作品および単行本の作り込みができる。
 描きたい期間、終わらせたい期日を作家に選ばせていただける約束がなされていることにより、作品の尻切れとんぼや、だらだらとした引き延ばしをしないですむ。
 上のようなわがままな形での連載だったにもかかわらず、二年間もの間良い形で掲載していただけて、この作品をスピリッツに描けて本当に良かったです。

 この作品はいわゆる青年マンガです。中心として大学生から三十代くらいまでの大人を対象として描きました。ですから、一から十まで全ての情報をお膳に据えて、想像力をスポイルするような演出、表現は極力避けてあります。できるだけみなさんにとっての一番納得できるリアリティーに当てはめて、キャラクター達の感情を素直に受け取っていただけるようにです。
 性表現に関してもエンターテイメントの核の一つとして、その年代を中心に考え据えてあります。
 情報量が少なく分かりにくいと感じられた方、性表現がきつすぎると感じられた方には、そのむね了承頂ければ幸いです。

 自分の好きなものを、楽しんで描いただけのこの作品が、前作「いいひと。」以上もの、多くの読者のみなさんから支持を受け、それに呼応するように二年間もの執筆期間を満足させられる作品になれたことは、漫画家として最高に幸運な経験でした。シュウジやちせの友人として、共に笑い悩み生きた時間をプレゼントして下さった、ビッグコミックスピリッツのみなさん、関係者のみなさん、スタッフ、妻、そして読者のみなさんに、これからも幸福がありますように。
 同時にこの星の人がこれ以上、少しでも傷付かずにすみますように。


 ありがとうございました。シュウジとちせは、私たちです。

                  2001年10月29日 高橋しん

追伸 ここまで書いたら、雨が上がっていました。